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西軍方は三成の拠る「笹尾山」

宇喜多秀家の拠る「天満山」、小早川秀秋の拠る「松尾山」、そして毛利秀元が布陣する「南宮山」のラインで東軍を囲む鶴翼の陣を敷く。明治の世に軍事顧問として来日したドイツのクレメンス・メッケル少佐は関ヶ原における両軍の布陣図をみて、即座に西軍の勝利を断言したという。しかし、東軍は鶴翼の「翼」の部分に相当する諸将の多くを内応させており、本来ならば圧倒的に不利である鶴翼の陣の奥深くに陣を置くことができたのである。

関ヶ原は早朝から深い霧が立ち込め、隣の軍の様子も侭ならない。そんな中、家康から先鋒の約束を取り付けた福島正則は、じっと開戦の火蓋を切る機会を伺っていた。

濃霧の中で両軍は2時間ほど対峙し続けていた。やがて、霧も薄くなってきた頃、福島隊の横を井伊直政と松平忠吉の小隊が通り抜けようとしていた。家康から先鋒を任されたはずの福島正則の家臣可児才蔵が呼び止めて詰問するが、「物見」と称して福島隊の前方へ張り出した。直政の小隊は、西軍の主力である宇喜多隊に向けて発砲、ここに関ヶ原の戦いの火蓋が切られた。
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対する宇喜多隊も直ちに応射、関ヶ原はたちまちのうちに激戦の様を呈した。福島正則隊6,000や井伊直政、松平忠吉らの隊は 宇喜多秀家隊1万7,000に攻撃するも、あっという間に撃退される。しかし、福島隊らの不利を見た加藤嘉明隊らが宇喜多隊の側面を攻撃。これに乗じて福島隊らも宇喜多隊に猛反撃を仕掛けるなど、宇喜多隊周辺は関ヶ原での最大の激戦地であった。黒田長政隊5,400、細川忠興隊5,000は一斉に三成の部隊めがけて襲い掛かる。三成隊も配下の島左近や蒲生郷舎らが奮戦、大筒を用いて襲い掛かる敵を撃退してゆく。大谷吉継隊4,100と配下の戸田重政、平塚為広計1,600は、藤堂高虎隊2,500・京極高知隊3,000と死闘とくりひろげる。小西行長隊6,000は、田中吉政隊3,000・筒井定次隊2,800と交戦。激戦をこの地で体験した太田牛一は次のように記している。

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2009年05月29日 08:01に投稿されたエントリーのページです。

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