2009年06月14日

スーパーカー消しゴム

スーパーカー消しゴム(-けし-)とは、消しゴムを自動車の形に成型したもの。名称は「消しゴム」であるが、字を消す道具としてはあまり使えず、実質的には文具というよりはミニカーの一種である。

ほとんどが漫画『サーキットの狼』に登場するようなスーパーカーを元にしているが、途中からは一般の乗用車やトラックもラインナップに加わり販売された。

大きさは全長3cm程度。単色だが様々な色が存在し、カラフルなのも特徴のひとつ。大多数のスーパーカー消しゴムの裏面には車名が刻まれているが、中には車名が刻まれておらず外見からも車名が判別できないものもあった。

後にこの商品をベースとした物も作られた。
感染症
ケーブルテレビ
インフルエンザ
バイオリズム
戯曲
天体
喜劇
真菌学
日本画
宇宙ステーション
地層の作り
神社案内
未知の宇宙
脳と神経
日本の重要文化財
下町東京
広島の歴史
不動産用語
サンタはどこ
牛の生涯

玩具メーカーのコスモスが「はずれ商品」として自社の自動販売機(20円程度のカプセル式ガチャガチャ)で販売し一大ブームとなった。

『週刊少年ジャンプ』に連載された『サーキットの狼』の大ヒットの影響で1975年頃からスーパーカー・ブームが始まり、それを受けて安価なスーパーカー消しゴムは当時の男子小学生の間で大流行し1970年代末期にはピークに達した。これはスーパーカーという玩具の要素以外に、体裁は消しゴムという文具のため学校に持っていって友達と遊ぶ目的があった。先生に「おもちゃは持ってきてはいけません。」と注意されても「これは、おもちゃではなく消しゴムです。」と言い訳する生徒が多数いたが、「スーパーカー消しゴムは持ち込み禁止」とする学校もあった。同様の理由で「キン肉マン消しゴム」や、「おもちゃではなく時計」という理由で「ゲーム&ウオッチ」等を学校に持ち込む生徒も多数いたが、やはり持ち込み禁止にする学校が多かった。 現在では衰退し殆ど見ることが無い。 また学校がスーパーカー消しゴムを持ち込み禁止にするもうひとつの理由として、「相撲形式」の遊びの中で勝負に勝った者が負けた者の消しゴムを取るというルールが保護者の間で「まるで賭け事の様」と大きく問題視された事が挙げられる。

遊び方 [編集]
ボールペンやシャープペンシルのノック機構を利用して弾くのが一般的な遊び方であった。ボールペンでは三菱鉛筆製のBOXYが平面の部分を机に密着できる点で重宝された。机の上から落としあう「相撲形式」や床の上で競う「レース形式」などがあり、中にはスーパーカー消しゴムの裏面を滑りやすく加工(接着剤の塗布、ホッチキスの針の打ち込み、ラッカーなどの溶剤への漬け込み等)したり、ペンのスプリングを伸ばしてノック機構を強化する者もいた。

相撲形式で遊ぶとき、小型で滑りやすい車と、大型で滑りにくい車が1台ずつ最後に残ってしまうと、どちらかが飽きてしまうまで勝負がつかないことがある。大半の物のサイズがNゲージ(1/150)とほぼ同じ大きさであったことから、彩色して転用する者もいた。

また、玩具メーカーのマルカの様に5?6個を1パックにアソートし、ノック式ボールペンと同じ構造の「発射台」をセットにして販売(これも当たりクジつきのシステム)したものもあった。

2009年05月29日

西軍方は三成の拠る「笹尾山」

宇喜多秀家の拠る「天満山」、小早川秀秋の拠る「松尾山」、そして毛利秀元が布陣する「南宮山」のラインで東軍を囲む鶴翼の陣を敷く。明治の世に軍事顧問として来日したドイツのクレメンス・メッケル少佐は関ヶ原における両軍の布陣図をみて、即座に西軍の勝利を断言したという。しかし、東軍は鶴翼の「翼」の部分に相当する諸将の多くを内応させており、本来ならば圧倒的に不利である鶴翼の陣の奥深くに陣を置くことができたのである。

関ヶ原は早朝から深い霧が立ち込め、隣の軍の様子も侭ならない。そんな中、家康から先鋒の約束を取り付けた福島正則は、じっと開戦の火蓋を切る機会を伺っていた。

濃霧の中で両軍は2時間ほど対峙し続けていた。やがて、霧も薄くなってきた頃、福島隊の横を井伊直政と松平忠吉の小隊が通り抜けようとしていた。家康から先鋒を任されたはずの福島正則の家臣可児才蔵が呼び止めて詰問するが、「物見」と称して福島隊の前方へ張り出した。直政の小隊は、西軍の主力である宇喜多隊に向けて発砲、ここに関ヶ原の戦いの火蓋が切られた。
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対する宇喜多隊も直ちに応射、関ヶ原はたちまちのうちに激戦の様を呈した。福島正則隊6,000や井伊直政、松平忠吉らの隊は 宇喜多秀家隊1万7,000に攻撃するも、あっという間に撃退される。しかし、福島隊らの不利を見た加藤嘉明隊らが宇喜多隊の側面を攻撃。これに乗じて福島隊らも宇喜多隊に猛反撃を仕掛けるなど、宇喜多隊周辺は関ヶ原での最大の激戦地であった。黒田長政隊5,400、細川忠興隊5,000は一斉に三成の部隊めがけて襲い掛かる。三成隊も配下の島左近や蒲生郷舎らが奮戦、大筒を用いて襲い掛かる敵を撃退してゆく。大谷吉継隊4,100と配下の戸田重政、平塚為広計1,600は、藤堂高虎隊2,500・京極高知隊3,000と死闘とくりひろげる。小西行長隊6,000は、田中吉政隊3,000・筒井定次隊2,800と交戦。激戦をこの地で体験した太田牛一は次のように記している。

2009年04月25日

エリツィン政権

エリツィンは、1990年にロシア共和国大統領になり、ソ連崩壊後も引き続いてロシアの大統領を務めた。しかし、エリツィン時代は深刻な物不足と拙速な市場経済化による貧富の差の劇的な拡大、政治の腐敗など、多難な時代であった。

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ソ連が崩壊すると、エリツィンの方針に伴い社会主義から資本主義へと国家体制の移行が進められた。その過程で莫大な富を手にしたオリガルヒと呼ばれる新興財閥が多数誕生した。しかし、資本主義化はハイパーインフレーションを引き起こし、国民は貧困と物不足にあえいだ。1993年の下院選挙では民族主義とロシア帝国復活を掲げる極右政党「ロシア自由民主党」が第一党に躍進した。しかし、自由民主党はすぐに凋落し、共産主義の復活を掲げる「ロシア連邦共産党」に第一党の地位を奪われた。1996年の大統領選挙でロシア連邦共産党のゲンナジー・ジュガーノフ候補はエリツィンに肉薄するものの一歩及ばず、エリツィンの再選を許した。エリツィン再選にはオリガルヒ達の力によるものが大きかった。そして、エリツィン政権二期目では、オリガルヒの発言力が増し、政治腐敗が蔓延していった。1998年にはロシア金融危機が発生。国内は混乱した。

1999年12月31日、エリツィンは電撃的に大統領辞任を表明。大統領代行にウラジーミル・プーチンが就任した。ここに、ロシア国民にとっては多難であったエリツィン時代は幕を閉じた。

プーチン政権
元KGBのウラジーミル・プーチンは、2000年3月の大統領選挙に勝利し、正式に大統領に就任した。ロシアは、15の共和国に分離した後、チェチェン独立派武装勢力によるテロが起こるなど治安が悪化しチェチェン紛争や、他国との領土問題などが絶えない。プーチンは、「強いロシア」を標榜し中央集権化及び法による独裁を強靱に進めた。また、国家資産を半ば私物化していたオリガルヒの制圧に乗り出し、ロシアの国益にかなう企業のみを国有化ないし政府の人間を企業の役員に加えることで国のコントロール化においた。こうした手法は強権的と欧米から批判される一方でロシア国民からは広く支持された。また、プーチン時代、ロシアの持つ豊富な天然資源が功を奏し、年々高い経済成長を遂げ、エリツィン時代に比べ貧困も半減した。一方、プーチン時代は反政府的なジャーナリストたちが不審な死を遂げるなど、政権の関与が疑われる事件も多数発生した。しかしながら、プーチンの強力なリーダーシップを国民の多くは支持している。プーチンは2008年に任期満了で退任し、後継に側近のドミートリー・メドヴェージェフを指名した。プーチン自身は引き続き首相として政界に止まり最高権力者の座を維持し、2012年の大統領選より大統領任期を6年とする憲法改正案も議会の賛成多数を得て承認され、自身の再登板の足がかりを得ている。

メドベージェフ政権
2008年3月の大統領選挙で大勝し、正式に大統領となったドミートリー・メドヴェージェフはプーチン路線の継承を表明した。すなわち国家による経済の統制を引き続き行い、また、「強いロシア」の復活を目指し邁進するといったことである。2008年8月にはかねてから対立関係にあったグルジアとの間で武力衝突が発生した(南オセチア紛争)。この紛争で、プーチン時代からかねてより悪化していたアメリカとの関係が更に悪化し、「新冷戦」と評するメディアも表れた。メドヴェージェフ自身、「再び冷戦が始まっても何も怖いものは無い」とアメリカとの対決姿勢を表明している。そして、南オセチア紛争から程無くして世界の景気が急速に悪化、ロシアの経済成長を支えていた外国資本が一気に去り、オリガルヒも没落するなど、ロシア経済は大きな打撃を受けた。メドヴェージェフは「景気悪化はアメリカによる一極支配が原因」とアメリカを非難し、更にプーチン首相と連携して不況を乗り切る構えを見せている。そのために現在、国家に有益なオリガルヒのみを救済、国のコントロール化に置く政策を実行している。しかし、政権支持率は低下してきており、今後の政策次第ではプーチンとの二頭体制が揺らぐ可能性もある。それを防ぐ為、現政権はソ連崩壊で手に入れた民主主義を捨てるようなことも行っている。プーチン政権末期には与党「統一ロシア」に有利になるよう、議席が獲得できる最低得票率を引き上げ、選挙監視員も拒むなど、選挙の透明性において欧米諸国から批判されている。メドヴェージェフ政権発足以降もこうしたことは行われている。2009年3月1日の統一地方選で統一ロシアは圧勝したが、その裏では政権側が有権者を酒で買収したり、選挙監視員を拒むなどしており、野党から批判されている。しかし、大多数のロシア国民は政権を支持ないし反対はしておらず、民主主義よりも経済成長と強いロシアの再建を支持していると言える。そしてロシアは反米的なベネズエラ、イラン、中国と関係を強化しており、2010年代に入ると本格的に新冷戦が始まると予想される。

2009年04月08日

フォークロック

フォークロック(Folk Rock)は、音楽の分野のひとつで、フォークとロックの要素が結合された楽曲、演奏様式を指す。しかし、その演奏法や歌唱法、また、楽曲の旋律や歌詞の度合いによって、フォーク、あるいは、ロックのいずれか一方へと捉えられることもあり、明確な分類の定義は無い。

フォークロックは、1960年代半ば、北アメリカで生まれた。当初、フォークロックと呼ばれた楽曲の特徴は、北アメリカの民俗音楽、あるいは、当時のシンガーソングライターの楽曲をレパートリーとし、ハーモニーを生かした歌唱と、従来からの楽器に加え、電気楽器をあまりエフェクターをかけずに用いた演奏であった。

この北アメリカでの動きに触発され、ケルト圏で様々なフォークロックの様式が見られるようになった。スコットランド、ウェールズ、コーンウォール、ブルターニュ等、各地域の民俗音楽とロックの融合が図られたのである。これは、フォーク(民俗音楽、ポピュラー音楽いずれからも)、ロック、それぞれのミュージシャンが取り組んだ。そして更には、ヨーロッパの他の地域におけるよく似た傾向の分野や活動も含めて、フォークロックと捉えられていくようになる。

但し、ブルースやアフリカ地域の音楽、ケイジャンによる音楽、また、ヨーロッパ以外の地域の民俗音楽の影響による場合は、あまりフォークロックとは呼ばれず、ワールドミュージックに分類される傾向にある。

フォークは社会性の強い歌詞に特徴があったが、表現の幅をひろげ、聴衆への伝達力を増すためロックの手法を大幅に導入した。当初、聴衆の側から"音楽的堕落"、"世俗への迎合"といった反発があったことから当時のフォークの位置づけがうかがえる。

結果として、深い人間洞察や社会の有り様を詩的に活写した優れた作品を生み出した。社会的な視点からの製作姿勢、深みのある歌詞などは他のロックミュージシャンにも多くの影響を与えた。

フォークロックの流れ [編集]

フォークロック誕生の背景 [編集]
フォークロックは、主に次の3つが背景となっている。

都市や大学を拠点としてフォークソングを合唱するグループ
シンガーソングライター
ブリティッシュ・インヴェイジョン
このうち始めの2つは、ウッディ・ガスリーとピート・シーガー、及び、1930年代の人民戦線運動から生まれた文化に強く影響を受けている。

都市を拠点としてフォークソングを歌い始めたのは、アルマナック・シンガーズであった。このグループは、1930年代後期から1940年代初期にかけて、ガスリー、シーガー、リー・ヘイズ他、メンバーを替えつつ活動した。そして1947年に、シーガーとヘイズは、ロニー・ギルバート、フレッド・ヘルマンと組み、ウィーヴァーズを結成する。ウィーヴァーズは、レッドベリーの「アイリーン」をカバーし大ヒットさせ、この分野は一般大衆の間に広がっていった。

1950年代初期の赤狩りに巻き込まれてしまったのだが、彼らの音作り、及び、民俗音楽や社会問題を題材とした楽曲は、キングストン・トリオ、チャド・ミッチェル・トリオや、あまり政治的では無かったカレッジ・フォーク・グループ(例えばブラザーズ・フォー、フォー・フレッシュメン、フォー・プレップス、ハイウェイマンのようなグループにも影響を与えた。全ての楽曲を通してみられるハーモニーとレパートリーは、フォークソング、そして、トピカルソング、社会性の強い歌)の始まりといえる。

ボブ・ディランや主にニューヨークで活動していたフォーク系のソングライター達、またスコットランドのドノヴァンは、1960年代中頃より「シンガーソングライター」と呼ばれ始めた。そして、ディラン達の作る楽曲の多くが、アメリカに留まらずイギリスにおいても、フォークロックのレパートリーとして用いられていくことになっていくのである。

しかし、ブリティッシュ・インヴェイジョンが起こらなければ、フォークとロックが交差することは無かった。ビートルズやローリングストーンズ、その他多くのイギリスのバンドは、ロックンロールには創造的な媒体として幅広い可能性があることを、アメリカに改めて認識させることとなった。

やがて、ディランを中心としてフォークとロックの融合が積極的に行われるようになり、1965年にはアニマルズの「朝日のあたる家」、バーズの「ミスター・タンブリンマン」、ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」などのヒット曲が生まれて、フォークロックは北アメリカにおける主要な音楽ジャンルとなった。

アメリカのフォークロック [編集]
アメリカ合衆国で最もフォークロックが活動的であったのは1960年代中頃から1970年代中頃であった。これはヒッピー現象とほぼ時を同じくする。
ボブ・ディランやそれ以前のミュージシャンのフォークソング、フォーク・リヴァイヴァルにおけるボーカル・グループ、ブリティッシュ・インヴェイジョンのロック、これらの要素が融合されていき、やがてカントリーの要素も取り込み、ハンク・ウィリアムズらにも影響を与えるに至った。

しかし、ブリティッシュ・インヴェイジョンが起きる前のアメリカにおいて、全くフォークロック様式が見られなかった訳ではない。例えば、ロック初期に活躍したバディ・ホリーの活動後期の作品にはフォークロック様式とみられているものがある。これらの作品は、ディランやバーズのようなミュージシャン達に強い影響を与えている。
また、エヴァリー・ブラザーズのようなカントリーに影響を受けたロック・ミュージシャンの作品にもフォークロック様式を見ることができる。
いずれも、発表時点で特に新たな音楽の分野と見られていたのではなかったが、ブリティッシュ・インヴェイジョンが起きた後、フォークロック様式であったことを認識されるにようになった。 また、ブリティッシュ・インヴェイジョンに応えてアメリカ独自のロック・サウンドを作ったとされるザ・ビーチ・ボーイズも、フォークロック・バンドとして捉えられることは無いが、フォークロックがブームであった1966年に、1920年代の西インド諸島に伝わる民謡「スループ・ジョン・B」をカバーしヒットさせた。

イギリスのフォークロック [編集]
1960年代後半のロンドンにおいて、ペンタングル、フェアポート・コンベンション、スティーライ・スパンらによってフォークロックは広がりを見せる。トラディショナル・ブリティッシュ・フォークのミュージシャン達は、エレクトリックギターやアンプ等の電気機器を用い、楽曲にロックの要素を取り入れていったのである。

なおイギリスでは当初フォークロックを「エレクトリック・フォーク」(Electric Folk)とも呼んでいた。

またイギリス海峡を渡ったブルトンにおいても、フォークとロックの融合が起きた。それはマリコルヌやアラン・スティーヴェルの作品に見ることができる。

そして、インクレディブル・ストリング・バンドのようなイギリスのフォークロックにおける様々な試みは、やがて、プログレッシブ・ロックへつながっていく。

キャン ふかがわ プルート てっさく はだいろ バーモ ナローボ シーケン ぱぱいあ リナリア デッド トッカータ あまぎ セレクション チャート マグマ クサノオ レンチ ブッキ カネノナル フェース プロップ くけい テク ぶうぶう ゴロ シーソー おはじき ナップ タイダイ ワンセ タイピン マスコット ロード ワイマ ニチニ コカトリ ダナキ フリーラ ホンコン ミング ノーマ タミフ リトル バッテ スクエア カアト イソ次世 ミー スター

2009年03月24日

連結器(れんけつき、Coupler)

連結器(れんけつき、Coupler)は、鉄道車両で編成を組成する際、車両同士を結合し、牽引時の引張力・推進時の圧縮力を伝達する装置である。


連結器の機能 [編集]
連結器に要求される機能は、おおよそ次の通りである。

引張力の伝達・連結の確実さ - 機関車が先頭で多数の客車が続くモデルで考えると、機関車の引張力を順次後の客車に伝達することが基本的な機能である。このとき、機関車と次の客車の間に最大の引張力がかかり、上り勾配、加速中にはさらに大きな力がかかるのでこれに耐えねばならない。また車両が絶対離れないように連結することが必要で、例えば上り勾配で連結が切れると、後の客車は自重で後退し大事故の危険がある。従って充分な強度を持つだけでなく、一部の部品が壊れても連結自体は外れないようなものが望ましい。
容易に連結・解放できる - 車両をつなぐときには、なるべく容易に、かつ確実に連結できなくてはならない。逆に連結をはずすときにも、同様に容易かつ確実であることが必要である。
推進力・衝撃を受ける - 下り勾配、減速中、また上記と逆に機関車が最後尾で多数の客車を押す形では推進(圧縮)する力を受けねばならない。その他に車両の連結の際や運転中に生ずる衝撃による前後動を吸収したり[1]、さらに車体が押されて持ち上がったりしないようにする必要もあるが、このために緩衝装置が設けられる。
左右・上下方向の動きに追随 - 列車が曲線、ポイントなどを通過する際には、前後の車両が互いに各方向に傾き、また上下動や荷重による車体の沈み具合によって高さが食い違うので、これらに追随する必要もある。
リンク式連結器 [編集]

概要 [編集]
連結にリンク(鎖)機構を使用する連結器全般を指す。リンク式にはリンクの固定方法によって、ねじ式、ピン・リンク式など幾つかの方式が存在する。

上記の通り、引張力を伝達することが最も基本的な機能であるから、車両にフックを設けて、間を鎖で繋ぐのは自然な発想である。しかし実際にはそれでは減速時などに車両同士が衝突したり、運転中に前後動することになるため、通常なんらかの相互に押し合う装置(緩衝器)を設けて接近を抑えることになる。

構造が単純であるため、黎明期より使用されてきたが、列車の牽引定数が連結器に使用されるリンクの材質や強度に依存するため、特に貨物列車を長大編成化することが困難となり、輸送力のネックとなるという問題を抱えている。また作業時にリンクを持ち上げることになるが、かなり重量のあるもので(日本の場合20kg程度)作業員の負担になる。

日本をはじめ、アメリカや現在のロシアを中心とする東欧圏、それにそれらの技術的影響下にあった中国などでは、原則的に自動連結器(後述)に置き換えられており、これらの国々では軽便鉄道などの輸送単位の小さい鉄道の一部でのみ用いられている。

スノー モヘア サイトシス ネグロ ノンフ バルカ バチス ほうじゅん フラー レンズフ ラリア だるま ネコヤ ストリ ステッキ クスノキ サーベル シシウド スタジ レトリック ハイカラ マジッ ローレル シンデレ 交響曲 ブランク ウバイ リアル ブレス ゲイン ガイドヨニ ギアナユ パール ずきん テロップ パイレ ロコ リスボ ジャンク 冬中夏草 女神 ジャンプ亭 ケープ ノーダ オーバー フィアン イカの石 コロラド おみたま おもちゃか


2009年03月09日

エラリー・クイーン(Ellery Queen)

エラリー・クイーン(Ellery Queen)は、アメリカの推理作家。実は、フレデリック・ダネイ(Frederic Dannay、1905年10月20日 -1982年9月3日)、マンフレッド・ベニントン・リー(Manfred Bennington Lee、1905年1月11日 -1971年4月3日)が探偵小説を書くために用いた筆名の一つ。ダネイとリーは従兄弟同士である。小説シリーズでは、エラリー・クイーンは著者の名前だけでなく物語の名探偵の名前でもある。

クイーンの処女作となった『ローマ帽子の謎』から『スペイン岬の謎』までの国名シリーズは、ヴァン・ダインの影響が随所に見られるものの、すべての手がかりが与えられたところで読者への挑戦状が挟まれるなど、本格探偵小説として評価が高い(第1期)。
インパ バイオ せみよん センニ おいず ガポット ハムスター メシア キオス ラターシュ カム ヤール サニレレ ハブポート ダッグ ビリボ ヒロイン 草もち モーニング タイム ダイス ジントロン ラブラト パイナ 一番星 ローブプ ミング ブラッセリー ネットカー れっど サインペン トラウマ ルンバ ケナフ スローイン マネジ パプリカ タマスダレ クンシ ラッパー ソウル シャー グズベ プレゼン 元慶 インクリ オーバ バイア キャンデ レワィア

『中途の家』から『ドラゴンの歯』までの5作品は、クイーンがハリウッドで脚本の仕事を始めたり、女性誌に作品を発表したりし始めたことから、恋愛小説的要素が増えた(第2期)。

ライツヴィルという架空の地方都市を舞台にした『災厄の町』から、人間の心理面に重きが置かれるようになり、『九尾の猫』では悲劇的な真相に気づいた探偵エラリーが涙を見せるなど、超人的な名探偵であったエラリーが、間違いを犯し苦悩することもある人間として描かれる。そして、中年となったエラリーが三十年前(『ローマ帽子の謎』と同時期)の事件の真相に気づく、集大成的な作品『最後の一撃』でこの時期は終わる(第3期)。この「間違いを犯し苦悩することもある人間」としての探偵については、後期クイーン問題としてしばしば議論の対象となる。

また、バーナビー・ロス名義で、聾者の探偵ドルリー・レーンが活躍するシリーズ『Xの悲劇』『Yの悲劇』『Zの悲劇』『レーン最後の事件』などの4作品も発表している。

クイーンの晩年にエラリー・クイーン名義で発表された作品のいくつかは、ダネイやリーの監修は受けていたと考えられるものの、実質的な執筆は二人以外の作家により行われたことが知られている。代表的なものには、シオドア・スタージョンによる『盤面の敵』、エイヴラム・デイヴィッドスンの手になる『第八の日』・『三角形の第四辺』などがある(第4期)。

また、エラリー・クイーンは、推理小説専門誌 エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン(Ellery Queen's Mystery Magazine、EQMM) を創刊して新人作家の育成を行ったり、アンソロジーの編纂により過去の作家の佳作を発掘するなどの活動も広く行った。 クイーンの小説は「アメリカミステリそのもの」と言われ、論理的な展開が特徴。現在でも世界中にファンが多い。

1941年にMWA賞短編賞、1961年にMWA賞巨匠賞を受賞している。 更に、1950年にEQMMにもMWA賞短編賞が贈られている。

また、『災厄の町』は、『配達されない三通の手紙』として、野村芳太郎監督により1979年に映画化された。

1933年に創刊された雑誌「ミステリー・リーグ」の編集に参加。ただし雑誌は4号で廃刊となった(関連文献『ミステリ・リーグ傑作選(上・下)』論創社)。

長編
1929年ローマ帽子の謎(The Roman Hat Mystery)
1930年フランス白粉の謎 (The French Powder Mystery)
1931年 オランダ靴の謎 (The Dutch Shoe Mystery)
1932年 ギリシア棺の謎 (The Greek Coffin Mystery)
1932年 エジプト十字架の謎 (The Egyptian Cross Mystery)
1933年 アメリカ銃の謎 (The American Gun Mystery)
1933年 シャム双生児の謎 (The Siamese Twin Mystery)
1934年 チャイナ橙の謎 (The Chinese Orange Mystery)
1935年 スペイン岬の謎 (The Spanish Cape Mystery)
1936年 中途の家 (Halfway House)
1937年 ニッポン扇の謎 (The Japanese Fan Mystery) 改題名(The Door Between)
1938年 悪魔の報復 (The Devil to Pay)
1938年 ハートの4 (The Four of Hearts)
1939年 ドラゴンの歯 (The Dragon's Teeth)
1942年 災厄の町 (Calamity Town)
1943年 靴に棲む老婆 (There Was an Old Woman) 改題名 生者と死者と(The Quick and The Dead)
1945年 フォックス家の殺人 (The Murder Is a Fox)
1948年 十日間の秘密 (Ten Days Wonder)
1949年 九尾の猫 (Cat of Many Tails)
1950年 ダブル・ダブル (Double, Double)
1951年 悪の起源 (The Origin of Evil)
1952年 帝王死す (The King is Dead)
1953年 緋文字 (The Scarlet Letters)
1954年 ガラスの村 (The Glass Village)
1956年 クイーン警視自身の事件 (Inspector Queen's Own Case)
1958年 最後の一撃 (The Finishing Stroke)
1963年 盤面の敵 (The Player on the Other Side)
1964年 第八の日 (And on the Eighth Day)
1965年 三角形の第四辺 (The Fourth Side of the Triangle)
1966年 恐怖の研究 (A Study in Terror)
1967年 顔 (Face to Face)
1968年 真鍮の家 (The House of Brass)
1969年 孤独の島 (Cop Out)
1970年 最後の女 (The Last Woman in His Life)
1971年 心地よく秘密めいた場所 (A Fine and Private Place)

短編集
1934年 エラリー・クイーンの冒険 (The Adventures of Ellery Queen)
1940年 エラリー・クイーンの新冒険 (The New Adventure of Ellery Queen)
1952年 犯罪カレンダー (Calendar of Crime)
1955年 クイーン検察局 (QBI: Queen's Bureau of Investigation)
1965年 クイーンのフルハウス (Queen's Full)
1968年 クイーン犯罪実験室 (QED: Queen's Experiments in Detection)

2009年02月20日

王立宇宙軍〜オネアミスの翼

『王立宇宙軍 〜オネアミスの翼』(おうりつうちゅうぐん オネアミスのつばさ)とは1987年3月14日に劇場公開されたアニメーション作品である。ハリウッドでのプレミア上映などプロモーションにかかった宣伝費などを含む総製作費は約8億円。制作費では約3億6000万円となるフィルム制作作品。
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朝日ソノラマ文庫より『オネアミスの翼-王立宇宙軍 I・II』(1986-1987)が発売されている。内容の大筋は同じながら映画では描ききれなかった多くのエピソードが加筆されている。著者は飯野文彦。

1950年代の地球に似ている「もうひとつの地球」にある「オネアミス王国」正式国名「オネ・アマノ・ジケイン・ミナダン王国連邦」が舞台。

当初は4000万円のオリジナルビデオとして企画されていたものだったが[1]、当時バンダイの山科誠社長が映像事業進出を模索していたことから映画化が実現し[2]本作を制作するため1984年にGAINAXが設立された。

監督は当時弱冠24歳の山賀博之。スタッフの平均年齢も24歳である。のちに『新世紀エヴァンゲリオン』などで有名となった貞本義行や庵野秀明も参加し、音楽監督として坂本龍一を起用している。興行的には大ヒットではないもののロングラン上映をする館も出るなど好調であり[3]、ビデオ・レーザーディスクは長く好調な販売を記録した。1997年に「サウンドリニューアル版」(ドルビーデジタル版)が制作、同年11月2日に公開された。

異世界を舞台に人類初の宇宙飛行計画を描いたこの作品はアメリカ映画『ライトスタッフ』にも通じる青年達の成長物語であると同時に「人類の進歩」を真摯に見つめたテーマ性を有し、現在でも評価が高い。また、制作スタッフの多くが商業作品の制作経験をほとんど持たない20代の若者であったことでも知られる。その主要スタッフはNASAにロケハンに行っている。ハリウッドでプレミア上映もされた。

公開当時上映時間の都合からカットされた場面(約1分)があり、「メモリアルボックス」において登場キャラクターの声優(森本レオ・曽我部和恭)による追加アフレコを行った上で本編に組み込まれた。その後1997年リリースの「サウンドリニューアル版」ではこの場面は特典映像扱いとなり、本編は公開版に戻されている。

緻密でリアリティある作画を実現するため、一部にはコンピュータグラフィックス技術も導入されている。しかし、テクスチャマッピングされた動画にも莫大な時間と費用を要する時代であり、その節約のため、ワイヤーフレームで描かれた線をなぞって手書きの動画に起こす手法が採られた。

本作品に対し宮崎駿は、金のない無名の若者たちが集団作業で作る姿勢に好感を持って応援し[4][5]バンダイを説得するための話などをした。完成した作品にもある程度の評価をしているが打ち上げの際、将軍が簡単に打ち上げを諦めたことや[6]主人公以外の努力して来た年配者を描かないことを批判。『キネマ旬報』1987年3月下旬号で山賀博之監督とほとんど口論に近い形の対談を行っている。

1992年頃にも続編『蒼きウル』が山賀監督自身によって構想されたが、企画は諸事情から凍結となり実現していない。

タイトル
企画当初のタイトルは「王立宇宙軍」であったが、スポンサーの意向で「オネアミスの翼」がメインタイトルとして付け足された。この付与は制作サイドからは不評であっため、のちにLD「メモリアルボックス」ではタイトルから「オネアミスの翼」が取り除かれ、それ以降は「王立宇宙軍」がメインタイトルという扱いになっている。

配給会社の東宝東和によって公開前にリリースされていた仮タイトルは「リイクニの翼」であったが、「ネアミスの翼 〜王立宇宙軍」を経て劇場公開時のタイトルは「オネアミスの翼 〜王立宇宙軍」となった。2007年の正式タイトルは「王立宇宙軍」。

ちなみに「王立〜軍」という言葉は、イギリスの軍組織が「王立空軍(Royal Air Force)」「王立海軍(Royal Navy)」などと呼称されることを踏まえたものである。

周到な世界観
本作品の特徴のひとつが、その微細にわたる世界観の設定である。既視感と異国情緒が絶妙に織り交ぜられた風変わりな世界は、文字から小道具、交通機関、兵器、建築にいたるまで、多数のスタッフのアイデア出しによって念入りにデザインされた。

王国の建造物や工業製品、服飾類はやや装飾過多で曲線・色彩を多用する傾向が伺え、ヨーロッパやロシアのような長い歴史と伝統をもった文化が感じられる。かたや対峙する共和国の都市景観はより直線的で現代的な印象を受け、アメリカ合衆国のような新興資本主義国の雰囲気がある。 但し、宇宙戦艦の打ち上げにこぎつけた事実を含め王国の技術レベルそのものは高いとみられ、一見時代遅れと感じられる王国のプロペラ戦闘機「第3スチラドゥ」が共和国のジェット戦闘機に伍して戦っていたことにもそれは見て取れる。実際、スチラドゥ機のような大きな後退角のあるプロペラは高速度飛行に適しているものの現実世界では素材強度などの問題からなかなか実用化していない。

王国のロケットはロシア(旧ソビエト連邦)が得意とするクラスター式と呼ばれる形状で、第一弾ロケットを第二弾ロケットの周囲に束のようにまとめたスタイルが特徴。まだ冷戦が続いていた公開当時、大多数の人々はロケットいえばアメリカのロケットを想像するため、「見知らぬ世界」を演出するのに好適なデザインであった。

物語
所属が10人に満たず「失敗ばかり」「なにもしない軍隊」と揶揄され、世間に落第軍隊として見下されているオネアミス王立宇宙軍の士官・シロツグ=ラーダットは、欲望の場所でしかない歓楽街で献身的に布教活動を行う少女・リイクニ=ノンデライコとの出会いをきっかけにそれまでのその日暮らしの自堕落な生活を捨て、宇宙戦艦という名目の人類初の有人人工衛星打ち上げ計画に参加し宇宙を目指すことになる。

厳しい訓練や多額の税金を使う宇宙開発の意味、開発スタッフの事故死、敵国「共和国」からの刺客、リイクニとの気持ちのすれ違いを乗り越え精神的に成長していくシロツグの姿を描く。

主要な登場人物・声優
シロツグ・ラーダット
声:森本レオ
宇宙軍中佐(劇中で昇進し大佐) 宇宙飛行士候補第2期生 21歳
中流家庭で平凡に生まれ育つ。水軍飛行士への夢絶たれ、仕方なく宇宙軍で漫然と過していた。
リイクニ・ノンデライコ
声:弥生みつき
不仲な両親にないがしろにされ、熱心な宗教家の祖母に育てられた。 17歳
マナ
声:村田彩
不仲な夫婦の娘で、人と付き合う術を知らない。リイクニが引き取り同居している 5歳
宇宙軍関係者
マティ
声:曽我部和恭
宇宙軍中佐 第2期生 21歳
シロツグの親友。非常に要領が良く女にももてる。バイク、カーマニア
カロック
声:平野正人
宇宙軍中佐 第3期生 23歳
ロケット推進機関の専門家。冷静だが怒ると手が付けられず「瞬間湯沸かし器」の仇名を持つ
ドムロット
声:鈴置洋孝
宇宙軍中佐 第1期生 21歳
実家が地方豪族の名家で、プライドが高い。唯一人残った第1期生
ダリガン
声:伊沢弘
宇宙軍中佐 第3期生 25歳
宇宙軍一の秀才。趣味でSF小説を執筆し投稿するが、掲載誌が必ず廃刊になるジンクスがある
チャリチャンミ
声:戸谷公次
宇宙軍中佐 第3期生 19歳
周囲との交友も少なく愛猫と戯れている。風呂に入らず不潔、口が悪い
ネッカラウト
声:安原義人
宇宙軍少佐 第3期生 20歳
変わり者で異常に新しい物好きなため、周囲からは特異視されている
ヤナラン
声:島田敏
宇宙軍少佐 第3期生 19歳
中小企業の会社社長子息として育ったため大柄な体格に似合わぬお坊ちゃまな性格
マジャホ
声:安西正弘
宇宙軍少佐 第3期生 19歳
見かけが老けているため子供がいるとの噂がある。実家はパン屋
カイデン・ル・マシーレ
声:内田稔
王立宇宙軍将軍(司令官) 53歳
宇宙軍の創設者にして最高責任者。王室にも通じる手腕を生かし有人衛星打上げに情熱を注ぐ
指導官
声:飯塚昭三
王立宇宙軍訓練指導官 41歳
学位や資格もない叩き上げ軍人の典型。仇名は「脳味噌筋肉」
「宇宙旅行協会」関係者
グノォム博士
声:大塚周夫
宇宙旅行協会リーダー 53歳
他の協会員とは違い話の分かる頼れる存在。希代のプレイボーイ、冒険家でもある。
デクロ
声:及川ヒロオ
宇宙旅行協会に所属する7人の博士の内の一人。目が大きい
ロンタ
声:槐柳二
宇宙旅行協会博士。車椅子を使用している
王国貴族
貴族A:声:納谷悟朗
貴族B:声:寺島幹夫
貴族C:声:梶哲也
王立空軍関係者
空軍パイロット:声:沢りつお
管制官:声:石井隆夫
空軍士官A:声:村越伊知郎[8]
空軍士官B:声:山下啓介
空軍士官C:声:林一夫
スピーカーの声:声:八代駿
デンタ:声:山崎哲也
共和国関係者
ネレッドン
声:ウィリー・ドーシー
共和国の政治局次官。ロケット発射場への侵攻の指揮を執る
作戦室アナウンサー:声:スティーブ・フェルバー
交信者:声:ドン・ウィットヤー
書記官:声:フェイザンキー・べロット
給油機交信者:声:ウィアム・ロバーツ
司令官:声:ジェリー・マッケーリック
共和国アナウンサー:声:ドーラ・コートレル
その他
読経老婆:声:牧野和子
酒場の男:声:後藤敦
酒場の女:声:勝生真沙子[9]
娼婦:声:小林優子
記録映画ナレーション:声:瀬能礼子
漫才師(コメディアン)A:声:アントン・ウィッキー
漫才師(コメディアン)B:声:オスマン・サンコン
TVアナウンサー:声:徳光和夫
トネス殿下:声:熊倉一雄

出演者の概要
主人公のシロツグ・ラーダット役を俳優の森本レオが担当したほか、声優陣はベテラン・中堅の実力派を多数起用している。当時現役日本テレビ・アナウンサーであった徳光和夫がTVアナウンサー役で、アントン・ウィッキーとオスマン・サンコンはコメディアン(漫才師)役として声をあてている。

また、敵対勢力である共和国側の人物の会話は全て架空の外国語によって進行(会話内容は字幕で表現)するが、その声優には全て外国人が充てられた。これは、日本人が発音するとどうしても嘘くさくなるため、より外国としての現実感を出すための演出方法として採り入れられたもの。

登場メカニック
<王国>
宇宙軍・第4号ロケット
王国史上4個目のロケット。クラスター型4段式。それまで失敗続きだったため、軍本部としては実質的な成果よりも政治の道具として用いようとする動きが強かった。
第1号ロケット 植木皿の打ち上げに成功。
第2号ロケット 発射台で爆発。
第3号ロケット 推力が不足し弾道軌道に終わる。
第4号ロケット 有人宇宙飛行に挑む。全長35.3m、重量385t。
宇宙軍・宇宙戦艦(軌道宇宙船)
対外的な示威として付与された勇ましい呼称と裏腹に、人ひとりを宇宙に飛ばしてまた戻ってくる機能しか持たない生命維持装置。あえて武装を挙げるとすれば斧を1本備えており、これは着水後にハッチが空かなかった時などの緊急脱出用である。
宇宙軍・公用車
前2輪後1輪の3輪式。自動車は一般にまだ手の届かない乗り物で、王室と癒着があるといわれるミグレン社が提供してこそ宇宙軍メンバーはこれに乗ることができる。もとは地味な色だったが、女性に受けがいいようにとネッカラウトが勝手に黄色に塗った。
全長3285mm 排気量1548cc
空軍・プロペラ戦闘機「第3スチラドゥ」
先尾翼型・推進式で、エンジンにはターボチャージャーを装備。単座型と複座型を基本に夜間戦闘機などのバリエーションもある。空軍にはこれよりも新しいジェット戦闘機も存在するが信頼性に乏しく、まだまだ最前線の迎撃戦闘機としての配備が継続している。
全長14.4m 最高速度800km/h
水軍・航空母艦
王国は大陸の内陸国で、国境線が走る巨大な湖「ピッポウ湖」に面している。このため、王国の戦闘艦は海軍ではなく水軍と呼ばれる。水軍は、湖の上に滑走路を作ることができる空母の運用に熱心で、砲撃による艦隊戦はあまり想定していない。実際の地球の歴史においても、ボストークが初の有人宇宙飛行に成功する1960年代には海軍の主力は空母とミサイル巡洋艦となっており、戦艦はすでに時代遅れであった。作中の空母は発艦と着艦を効率的に行うための二段式の飛行甲板を持ち、離陸用にはスチームカタパルトを備えている。
水軍・ジェット戦闘機
主人公シロツグの少年時代に配備が始まった先尾翼型のジェット戦闘機。外国からの輸入品。ジェット技術が生まれたばかりの時代の産物で、利点といえば急角度の離着艦でも推進用プロペラを甲板に摺る心配がないことと、スクランブル発進に必要な加速度があること程度しかなかった。第4号ロケット時代における配備の状況は不明。
全長12.8m 最高速度650km/h
陸軍・戦車
無限軌道式の戦車。機動的な共和国の装甲車とは好対照な鈍重なスタイルを持つ。作中では主に待ち伏せ用の砲台として用いられた。また、敵兵站をできるだけ消費させるため、この戦車に似せたデコイが多数配置された。
<共和国>
空軍・ジェット戦闘機
先尾翼型ジェット機。亜音速性能を持つ。翼下にロケット弾24発を搭載可能なパイロンを備え、増槽は翼の上に追いやられている。空中給油装備を持ち、もともと航続距離の長くない本機の作戦行動力を大きく高めている。
全長15.25mm 最高速度880km/h(アフターバーナー使用時980km/h)
空軍・空中給油機
この世界には珍しい翼の前にプロペラを持つトラクター方式の機体。これは給油時にプロペラが邪魔にならないよう配慮されているためである。
陸軍・装甲車
高い渡河能力と軽快な機動力で電撃戦の中心を担う。タイヤはソリッドゴムであるためパンクしない。
陸軍・ホバークラフト
不整地・沼地での作戦に用いられる兵員輸送装備。現実世界における同種の兵器の配備は1980年代になってからということもあり、この作中で表現されるところの「最新兵器」のひとつであると思われる。

音楽
本作品の楽曲は「戦場のメリークリスマス」で映画音楽を手がけた坂本龍一が全体を統括し、自らもテーマ曲を含むいくつかを手がけているほか、上野耕路など複数に楽曲を割り振っている。劇中の葬式で宇宙軍が斉唱する「宇宙軍軍歌」も坂本の作曲(作詞はサエキけんぞう)である。目下のところ、本作品は坂本龍一がアニメーションの音楽を担当した唯一の例となっている。

それとは別個に、作品イメージソングとして統乃さゆみ『オネアミスの翼 〜Remember Me Again〜』(CBSソニー。作詞・森生紗都子、作曲・長戸大幸)がビーイングの手によって制作され宣伝映像に用いられたが、作品内容との乖離から安田成美の『風の谷のナウシカ』同様、アニメ本編で使用されることはなかった。

2009年02月04日

松平氏(まつだいらし)三河国加茂郡松平郷

松平氏(まつだいらし)は、室町時代に興った三河国加茂郡松平郷(愛知県豊田市松平町)の在地の小豪族であり、後に江戸幕府の征夷大将軍家となった徳川氏の母体である。江戸時代は徳川将軍家の一門、或いは将軍家と祖先を同じくする譜代の家臣の姓となり、或いは将軍家が勢力・格式ある外様大名に授けた称号としての役割をも果たした姓である。
あっさぶ スロン カーリー デブー ナックス デブリ タング バケツ スメア マンドリル シュテム アーム リッド ピエロ 南瓜 プラス シャンピ スタン ピッツァ いゆふぇく ライブラリー タジア ダンガ モック タイム クシン モッズ トリック ピンマイク 黒太陽 スナンサ ザニア パロール セージラ オーセン モービル ニシキギ ガスケット スラック ストック ジャガー リベンジ デカップ スペア キドニー ヤソウェ 上海慕情 イニシ きほく モラルレ

松平氏の先祖についての最も古い記録は、三代信光以降についてのものであり、それによると信光は賀茂氏あるいは源姓を称していたことが知られる。元来賀茂姓であったのを源姓に改めたものと見られる。三つ葉葵の家紋もまた賀茂氏に由来するらしい。ちなみに家康は若い頃藤原姓と称したこともある。これらの事実からも、松平氏は本来、源氏としての強い主張を持った家ではなかったとされる。しかし、家康の武将としての地位が上がるにつれ、由緒の正しい系図を整える必要が生じ、新田氏の支流としての松平氏を唱えるに至ったとする。

後世の徳川氏・松平氏の系譜によると、徳川氏の祖となる松平親氏は清和源氏の新田氏の支流である得川義季(得河三郎義秀とも){上野国新田郡得川郷(現・群馬県太田市徳川町)が本拠地}の後裔と称する時宗の僧で、松平郷の領主松平太郎左衛門少尉信重の娘婿となり松平信重の家の名跡を継ぎ松平親氏を名乗ったという。親氏とその弟(叔父とも)あるいはその嫡子とする泰親の代には松平郷近隣に勢力を拡大したらしいが、同時代の史料にその名は見えない。おそらく親氏以前の記録は、家康が系図を整える頃にはすでに失われていたものと見られる。

松平親氏にはじまる松平氏
同時代の史料によって実在が確認できるのは親氏の子とも泰親の子とも言われる三代信光(1488年没)で、室町幕府の政所執事伊勢氏の被官となり、京都に出仕した。これにより三河の足利将軍家御料地経営に食い込んだ信光は、松平郷から見て南の平野の玄関口である額田郡岩津城(岡崎市北部)に居城を移すと(岩津進出は泰親のときという説もある)、西三河の平野部に勢力を拡大し各地に諸子を分封して十八松平(徳川本家いわゆる安祥松平家を含む)と称される多数の分家を創設した。また、同じ頃(寛正年間)に近江国菅浦に派遣された京極氏の代官に松平益親という人物がおり、菅浦住民と対立した際には三河からも援軍が来たと記録されている。この近江の松平氏も三河の松平氏の同族の1人と考えられている。

信光の子のうち、碧海郡安祥城(安城市)を与えられた次男親忠(1501年没。のち宗家四代に数えられる)とその嫡子長親(1544年没。五代)の安祥松平家が勢力を拡大し、松平宗家化するとともに戦国大名へと発展していった。この安祥松平家に仕えた家臣は、安祥譜代と呼ばれ、徳川最古参の家臣として、柳営秘鑑および三河物語に記載されている。松平郷・岩津時代の家臣が、最古参の譜代ではない。岡崎城時代は、岡崎譜代として、2番目に記載されている。徳川家臣団の形成に、安祥城時代が大きな影響を及ぼした。

改正三河後風土記に、三州十八松平家の事、徳川家是ハ御本家をさしていふ。昌安より岡崎城を清康君に献じ徳川家安祥岡崎を兼領し給ふ、と記載されており、本家分家の関係が詳細に記述されている。

安祥松平家の台頭後も宗家の座を狙う松平一族の間に内紛が続き、六代に数えられる信忠(1531年没)は一族を抑えられず、1523年に父長親の命で若くして隠居させられた。代わって13歳で家督を相続した七代清康(1535年没)は翌年山中城を奪い、また明大寺城、岡崎城も取得する、なお本拠地は安祥城のままであり、岡崎城が本城となるのは広忠の時代からである。清康は加茂郡・渥美郡の諸豪族を攻めて北三河・東三河まで服属させるが、西に転戦して尾張へと進出したところで家臣に刺殺されてしまった。八代広忠(1549年没)は父清康が死んだとき10歳の幼さで、三河と松平一族を統御できず駿河の戦国大名今川氏の庇護下に入ったが、またも家臣に刺されて死んだ。

安祥松平家による岡崎奪取以前の、「光重」-「親貞」=「昌安(信貞)」にいたる旧岡崎城主家を、安祥家に対して岡崎松平家と呼ぶことがある。後述の「大草松平家」がこれにあたる。その支配域は岡崎市南部および大草(現在の愛知県幸田町北部に比定される)にあったと考えられる。
広忠の嫡子竹千代(九代。元服して元康、のちの徳川家康)は今川氏の人質として駿府に送られ、松平氏の三河支配は実質的に中断を余儀なくされたが、1560年、桶狭間の戦いで今川義元が敗死すると今川氏から独立し、名を松平家康と改める。家康は三河を統一すると1566年勅許を得て、先祖得川義季の名字を復活させるとの名目で徳川氏に改姓した。ただし、徳川の名乗りは家康一家のみが名乗り、松平諸家の姓は松平に留める。家康はこれにより自身の家系を松平一族中で別格の存在として内外に完全に認知させることに成功し、「十八松平」諸家は徳川氏の親族ではなく家臣の格である「譜代」に位置付けられた。。

家康は徳川の名乗りを自身の子孫の中でも将軍家、御三家(後に御三卿も許される)の嫡流にしか認めなかったので、松平の姓は家康の血を引く親藩の多くの家で用いられることとなり、その後も松平を称する家は増えつづける。

なお、徳川氏と縁戚関係にある一部の有力な譜代大名や外様大名にも松平の名乗りが許され、これらの諸家は江戸時代には公称において松平の姓を用いたが、ほとんどが明治維新のとき旧姓に復した。

現在の子孫は、徳川・松平一門の会に所属し、その会員数は約600名である。

松平宗家の歴代当主と諸分家
(歴代当主や系譜関係は諸説あるため、ここでは一例を示す。各藩の記事は幕末におけるものを表示。分家が複数にわたる場合それらを併記したものもある。また一部改易時の藩を記載する)

初代 親氏
酒井広親 - 酒井氏
信広 - 松平郷松平家(交代寄合)
泰親(宗家二代)
二代 泰親
信光(宗家三代)
三代 信光
守家(長男) - 竹谷松平家(三河吉田藩断絶。後交代寄合)
親忠(次男) - 宗家四代(安祥松平家初代)
与副(四男・与嗣) - 形原松平家(丹波亀山藩、旗本)
光重(五男) - 大草松平家(旗本断絶)
忠景(七男・元芳)
元心(元芳の長男) - 五井松平家(旗本)
忠定(元芳の次男) - 深溝松平家(肥前島原藩、旗本)
光親(八男) - 能見松平家(豊後杵築藩、旗本)
親則(十一男) - 長沢松平家(越後高田藩改易、旗本)(大河内系に三河吉田藩、大多喜藩、高崎藩)
四代 親忠(初代安祥城主、安祥松平家初代当主)
親長(長男) - 岩津松平家
乗元(次男) - 大給松平家(三河西尾藩、豊後府内藩、三河奥殿藩、美濃岩村藩、旗本。西尾藩和泉守家は諸大夫筆頭)
長親(三男) - 宗家五代(安祥松平家二代)
存牛( )-知恩院25世
親光( ) - 西福釜松平家
張忠( ) - 矢田松平家(断絶)
乗清(九男) - 滝脇松平家(駿河小島藩、旗本)
五代 長親(安祥松平家二代当主)
信忠(長男) - 宗家六代(安祥松平家三代)
親盛(次男) - 福釜松平家(旗本)
信定(三男) - 桜井松平家(摂津尼崎藩(諸大夫筆頭)、旗本)
義春(四男) - 東条松平家(尾張清洲藩断絶)
利長(五男) - 藤井松平家(出羽上山藩、信濃上田藩、旗本)
六代 信忠(安祥松平家三代当主)
清康(長男) - 宗家七代(安祥松平家四代)
信孝(三男) - 三木松平家(旗本)
康孝( ) - 鵜殿松平家
七代 清康(安城松平家四代当主。1524年より岡崎城主)
広忠(宗家八代)
八代 広忠(安祥松平家五代当主)
家康(宗家九代)
九代 家康(安祥松平家六代当主)→徳川家康となる。

家康以降の男系の松平家
越前松平家(越前福井藩等)
会津松平家(陸奥会津藩)
越智松平家(石見浜田藩)
徳川御三家分家(讃岐高松藩等)

近年の研究では以下の家系を松平姓であったとする[要出典]

駿河徳川家
甲府徳川家
館林徳川家
また、徳川頼房は1636年(寛永13年)7月に徳川賜姓されるまで松平姓であった。

家康の血縁により一族に准じた松平家
久松松平家(松平定勝系伊予松山藩・伊勢桑名藩)
奥平松平家(松平忠明系武蔵忍藩)

松平氏の分家ではないが松平姓を許された譜代大名
依田氏(依田康国)
大須賀氏(大須賀忠政)
戸田松平家(信濃松本藩)
松井松平家(武蔵川越藩)
大河内松平家(三河吉田藩等、上述の十八松平の長沢松平家の養子)
鷹司松平家(上野吉井藩等)
松平本庄家(丹後宮津藩・越前高森藩→廃絶)
柳沢松平家(大和郡山藩)
菅沼松平家(美濃加納藩→改易)

松平の称号を与えられた外様大名家
前田氏(1.加賀藩・2.越中富山藩・3.加賀大聖寺藩)
伊達氏(仙台藩)
島津氏(薩摩藩)
毛利氏(長州藩)
黒田氏(筑前福岡藩)
浅野氏(1.安芸広島藩・2.広島新田藩)
鍋島氏(肥前佐賀藩)
池田氏(備前岡山藩、1.因幡鳥取藩・2.鹿奴藩・3.若桜藩、4.播磨山崎藩→福本藩→交代寄合、5.赤穂藩→改易、6.平福藩)
蜂須賀氏(阿波徳島藩)
山内氏(土佐高知藩)
上記の大名家のうち、富山藩・鳥取藩を含む本家は四品・国持大名。 うち、山内家以外の大名家には世嗣の殿上元服・賜諱(偏諱の授与)があった。

江戸時代初期に廃絶した以下の大名家も松平の称号を与えられていた。

堀氏(越後高田藩)
蒲生氏(陸奥会津藩→伊予松山藩)
中村氏(伯耆米子藩)

2009年01月21日

フィールドホッケー

フィールドホッケーとは、スティックと硬球を使い2チームが相手ゴールに向けて互いにそのボールを打ち込もうと競い合うスポーツである。また、小中学生を中心に6人制ホッケーも広まっている。

先端の曲がったスティックと硬球を使い、芝の上で、11人ずつの2チームが、相手のゴールに向けて互いにそのボールを打ち込もうと競い合うゲーム。

参考 ホッケー各大会記録集

オリンピック
男子競技と女子競技が行われており、男子は1908年ロンドンオリンピックから、女子は1980年モスクワオリンピックからオリンピックの正式競技となった。

ホッケー男子日本代表は1932年ロサンゼルスオリンピックでは銀メダル。1960年ローマオリンピックに戦後初めて出場した。

2004年アテネオリンピックで、ホッケー女子日本代表がオリンピックに初出場した
ホッケーの起源は、古代エジプト(紀元前2000年)にあるといわれている。ナイル川流域で発見された壁画にホッケーについて描かれている。

近代ホッケーの起源は、他の多くのスポーツと同様にイギリスにある。19世紀ごろ、オフシーズンのクリケット選手たちが、試合のできない冬に始めたのが起源と言われている。イギリスにて「ホッケー協会」が組織され、ルール制定されたのが1887年である。そして、1908年にオリンピック競技に認定される。

日本への伝来は、1906年にアイルランドの牧師であるT・グレー氏が慶應義塾大学に伝えたことによる。1937年に「日本ホッケー協会」が組織され、同年より全日本ホッケー選手権大会が始まった。
試合時間
2ハーフ 各35分
ハーフタイム 5 - 10分
勝敗
時間内で得点を多く決めたチームが勝者となる。同点の場合は延長戦(2ハーフ 各7分30秒)を行い、得点が入った時点で試合が終了するゴールデンゴール方式がとられる。それでも同点の場合は、PS(ペナルティーストローク)戦により5人ずつで争われる。
選手
出場登録選手 1チーム18名(国際ルールでは16名、国内の大会では別規定で行われる場合もある)。 フィールドに立てるのは11名。10人のフィールドプレーヤーと、1人のゴールキーパーにより構成される。ただしゴールキーパーを置かずにフィールドプレーヤー11人で戦うこともできる。選手交代は試合中何度でもでき、一度退いた選手がもう一度プレーすることも可能。

用具
スティック
形状:先端が湾曲した棒状のスティックで、平らな面と丸い面がある。平らな面でしかボールを扱うことはできないので、ドリブルなどをおこなうときは、スティックをくるっと回しながら、平らな面のみ使うようにしなければならない。
材質:金属または金属を含む材質以外で、もともとは木製しかなかったが、最近は繊維強化プラスチック (FRP) などの素材で反発力を増したスティックが主流である。
反り:たいていのスティックは真直線ではなく弓状に反っている。反っている方を上にして平らな地面に置いたとき下にできる隙間が25mm以下であればよいので(反りが25mmを超えるスティックは公式戦では使用できない)、直線に近い形状のものから25mmぎりぎりに反らせているものまで反り方は様々である。一般的に反りが小さいスティックの方がトラップやヒットなど基本的な技術に適し、逆に反りが大きいスティックの方がドリブルの切り返しや、スクープ・フリック・ピックアップなどのボールを浮かす特別な技術に適していると言われている。
ボール
野球の硬球よりも硬いボールと想像するとわかりやすい。ボールスピードは、150km以上にもなる。重量156g?163g、周囲は224mm?235mm。ゲーム前に両チームの合意で、材質、色(白、皮革以外であれば)が違うものも使用することができる。

主な反則
ハイスティック
肩より上にスティックを持ち上げること。特にスクープ使用時のトラップ。
キック
体を故意にボールに触れさせること。足に限らない
バックスティック
スティックの裏でボールに触れること。
オブストラクション
相手のボールキーププレーするのを妨げること。

備考
過去にはサッカーと同様なオフサイドルールがあったが、現在は廃止されている。
シュートはゴール前に描かれたサークルと呼ばれる区域の中から打たないと、入っても得点と認められない。従って、ロングシュートというものは認められていない。
ホッケー特有のセットプレーにペナルティーコーナー(PC)がある。守備側の選手が自陣サークル内で反則をしたとき、あるいは22.9メートルライン以内で故意の反則をしたときに、攻撃側に与えられる。攻撃側は自由に人数を割けるのに対し守備側はゴールキーパー含めて5人で守らねばならず、攻撃側にとっては大きなチャンスとなるプレーである。PCをどれだけたくさん奪えるか、また奪ったPCをどれだけの確率でゴールに結び付けられるかがホッケーの攻撃においては一つの鍵となる。
自分でボールを保持したまま前に進む技術。相手をドリブルで抜き去れば数的有利を作れ、一気に味方のチャンスになる。しかしスティックの片面でしかボールを扱えないので、正確なドリブルをするには高度な技術が要求される。

ホッケーはサッカーなどに比べてファールが多いスポーツである。その特徴を生かして、ドリブルの際も相手を抜きにかかるのではなく、意図的にファールをもらいにいくことも多い(ボールを相手の足に当ててキックの反則を取るなど)。相手のファールをもらうのは相手を抜き去ることよりも簡単に出来るので、相手をドリブルで抜くのが厳しいと思ったら堅実にファールをとって味方ボールをキープするようなプレーも求められる。

フォアドリブル
ボールをスティックに付けたまま体の右側で保持し、前に進むドリブル。最も基本的なドリブル。スピードを出しやすい。複雑なボールコントロールを伴わないのでミスが少ない。また手元に集中しなくてもできるため周りを見ながらドリブルできる。

インディアンドリブル(インディッシュドリブル)
ボールを体の左右交互に動かしながら進むドリブル。相手にフェイントをかけたり、かわすときに使う。フォアドリブルに比べスピードは出にくい。習得するのにはある程度技術が必要。
モンブラ こまひ レイク モミジ プルライフ 月の海峡 しおじ コメン フォール ショートケー ティーホル メーカー オートメ わかた ビーフ イザヤ ロストル フリース エイグ ススキ ヒーロー チフス シーズ レード サルト マンパ サイトむい パクチー せりか ゲート ちこり メナム ション ストッキン オフス イソップ シュボド マップ ノンフ スツール ハイパー ドミノ タシケ コダチア プレス バウンス スーパー リコリス ハラム ウチク

右抜き・左抜き
体の左側から右側にボールを大きく動かし、相手の右側(自分から見て)を抜き去ることを右抜きという。左抜きはその反対。ボールをできるだけ正確に、幅広く、速く動かすのがコツ。相手をかわしたらすぐに前に出るスピードも重要。抜く前に、視線やスティックの動きでフェイントをかけると成功しやすい。

ピックアップ
相手がタックルやブロック(地面にスティックを下ろしてボールを奪うディフェンス)をしかけてきたときに、ボールを浮かして相手のスティックの上をかわし、相手を抜き去る技術。わざと相手の足を狙ってピックアップし、キックの反則をとりにいくときもある。スティックを地面とボールの間に挟むようにしてボールを浮かす。浮かしすぎるとデンジャラスプレーの反則を取られる。

チョップ
ピックアップの応用版で、ピックアップの場合はスティックをボールの下に挟むことによりボールを浮かすが、チョップのばあいはボールを斜め上からたたくことで浮かす。人工芝で有効な技術。

ターニング(ターン)
ドリブル中に体を反転させ、ドリブル進行方向から後ろに切り返す技。そのまま前にドリブルで進むのは難しいと判断したときに使う。ターンしたあとは後ろに向き直ってバックパスや横パスを出すことが多い。

ガード
自分のスティックで、ボールを奪いに来る相手のスティックをブロックすること。ボールがとまった状態でガードをするとボールを保持している側がオブストラクションの反則を取られるが、ボールを前に動かしながらのガードは黙認されている(オブストラクションを厳格に解釈するとドリブル側の反則になると思われるが)。ドリブルでボールをキープするために重要な技術の一つ。

レシーブ(トラップ)
自分のところへ転がってきたボールをスティックで止めること。はずんで来たボールはスティックを立てると止めやすい。

ストローク
スティックでボールを打ったり押したりして転がすこと。パス、シュート、クリアのために使われる。

ヒット
ゴルフのように両手をくっつけてスティックを握り、地面のボールを打つ打ち方。最も強いボールを出せる。モーションも比較的小さく、短い時間で打てる。ただし安定してミートさせるにはある一定の技術が必要であり、初心者はもちろん中級者でもしばしば空振りしたり、ダフったりしてしまうことがある。コントロールも比較的つけにくく、ボールが浮いてデンジャラスプレーの反則を取られることも多い打ち方である。とにかく強いボールを打てるので、ロングパスやセンタリング、クリア、距離のあるシュートなどに使う。サッカーで言うインステップキックに近い使われ方である。

スイープ
スティックを握った手を地面すれすれまで下げてスティックを地面と平行にし、地面を掃くようにしてボールを打つ打ち方。比較的強いボールを出せ、コントロールもつけやすく、ミスも少ない打ち方。ただしモーションが大きいため相手が近くにいるときはなかなか打てない。ディフェンスラインでのボール回し(展開)や、ディフェンダーから前線へのロングパスなどに使う。

プッシュ
両手を離してスティックを握り、スティックヘッドをボールに付けたままボールを押すようにして出す打ち方。モーションが小さく、正確なボールを出せる。ただしヒットやスイープに比べボールのスピードは出ない。相手のスティックの上を通すためにボールを少し浮かして使うこともある。ショートパスや、短い距離からのシュートなどに用いる。サッカーで言うインサイドキックに近い使われ方である。

2009年01月14日

魔法少女リリカルなのは

魔法少女リリカルなのは
ivory制作・JANIS発売の18禁恋愛アドベンチャーゲーム作品『とらいあんぐるハート』シリーズ内の作品。
『とらいあんぐるハート3 〜Sweet Songs Forever〜』において、ゲームクリア後のおまけシナリオとして収録された「CMスポット」において新番組として予告された架空のテレビアニメ作品のタイトル。本編のパロディ的な内容で嘘企画であると明記されており、後に実際に制作された以下に挙げるいずれの作品とも全くの別物である。
1.のファンディスク『とらいあんぐるハート3 リリカルおもちゃ箱』に収録されているミニシナリオ。狭義にはこの作品がテレビアニメ版の原作にあたる[1]が、実質的には1.をはじめとしたとらいあんぐるハートシリーズ全体の後日談にあたる作品でありテレビアニメ版とは全くの別物である。
1.のOVA版に先行して発売されたミュージッククリップ集『とらいあんぐるハート 〜Sweet Songs Forever〜 サウンドステージVA』に2.のオープニングアニメという名目で収録されている短編アニメ作品[2]。なお、この作品及びOVA本編はテレビアニメ版と同一スタッフによる制作である。
上記からスピンオフし、世界設定を大幅に変更した上で制作されたテレビアニメ作品のシリーズ。
シリーズ全体の概要に関しては魔法少女リリカルなのはシリーズを、登場人物に関しては魔法少女リリカルなのはシリーズの登場人物を参照。
第1期『魔法少女リリカルなのは』は、2004年10月から2004年12月にかけて全13話が放送された。本項ではこの作品について記述する。
第2期『魔法少女リリカルなのはA's(エース)』は、2005年10月から2005年12月にかけて全13話が放送された。
第3期『魔法少女リリカルなのはStrikerS(ストライカーズ)』は、2007年4月から2007年9月にかけて全26話が放送された。
劇場版『魔法少女リリカルなのは The MOVIE 1st』の製作が2008年7月に発表された。第1期をベースとした、新設定・新デザインによるパラレルストーリー

『魔法少女リリカルなのは』(まほうしょうじょリリカルなのは、英:Magical girl lyrical Nanoha)は、独立UHF局で2004年10月から12月にかけて全13話が放送されたテレビアニメ作品。魔法少女リリカルなのはシリーズの第1期の作品である。

キャッチコピーは「魔法少女、はじめました。

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